ANA国内線【PR】
2012年 04月 25日
進化、深化、親化、新化、神化、真価
どうも。

久しぶりの発言に何か少しのためらいと怖れを感じつつ思いを文字へと変換する作業をイマ、この手で行っている。
思えば、ここ数年色々な変化があり(公私ともどもだが)よりリアルにリアルがそこに迫ってきたんだと思う。迫ってきたリアルに打ち負けそうになりながら少しづつ階段を上ってきたんだと思う。その結果、今の自分の置かれている立場や振る舞い思考の仕方があるのかなって思う。いいか悪いかは別としてここまでこれたことは素直に喜んでいいことだと一人の人間としてそう思う、だが、一人の男としては物足りなさを感じることもしばしばある。
ある男は、生きる糧を一つのMICにゆだね、借金と希望を胸に生きぬいた。
その事実は揺るぐことのない事実。

考えることで成長する瞬間と後ずさりする瞬間ってあるよね?
一歩進んで三歩もどるとはよくいったがほんとにそうだね。ひしひし伝わる。

話は変わるが、この間青春時代をともに歩んだマイメンとTELで話した。
お互い、真は変わらないが、教養というか受け皿とする皿が大きく深くなった気がした。
若い時なら突っぱねてた事柄もすこし歩みよれた気がするんだ。
少し前にローマにいったとき、噴水にコーラを捨てるイタリア人らしき人間をみた。
昔なら、若い時なら感じたままに行動をとったきがする。
しかし、今は何か特別な理由があってこうゆうことになっているのではないか、もう少し動向をみてみようっと思うことができたんだ。
その、一瞬の待ちが脳裏を揺らいだ。
道玄坂の植え木にささりながら一晩過ごした男とは遠い族の考えではある。
大人になると、ひとつ余裕がうまれ待てるのかもしれない。
そんなちっちゃな変化を楽しんでる今日この頃なんです。

これからは、少しづつシンプルに物事をすすめ、語っていきたいと思う。
もうそろそろ鐘が鳴るからおさらばとしますか。
アディオス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

# by templ-sc | 2012-04-25 22:30 | 太陽光
2011年 05月 27日
ひさびさの...
交信!

久しぶりすぎてなにを書くべきかわからない状態だが、とにかく書く。

やっと長い旅から帰ってきました。ほんとに遠かった。

まずは、旅の始まりから...

ある、一つの島国から一本の電話があり、二つ返事で向かった。
すると、そこにあった風景は、写真や本で見た世界とはまるで別の空間だった。
美しい海、開放された景色、自由と規律が調和した空気!なんてまったくない!
まるで、想像していた世界は創造されていた世界なのかと思うほどだった。

まず、はじめにIDチェック!
髪の先から足の爪まで入念に舐められるようにチェック!

続いて、持ち物!
幸い何も所持はしていなっかたっが、信念という志はそこにあった。しかし、大好きなCDが奪われた。


あ、時間だ!続きは後日!


# by templ-sc | 2011-05-27 18:19 | 太陽光
2009年 06月 02日
365という日。

群聚は想像力を置き忘れた。



飼いならされた心がもう一度燃え上がる時を待ち続けたいという願い。



消え去る炎をすっと解離する現実という手段。
その一手に北からも南からも西からも東からも地響きがなる。



個々から始まったここが何通りもある道筋なのかもしれない。



もし、肌から外界の世界に興味がないHがいるならそれはただ単なる無と同じかもしれない。



魂っていう生きている思いを焦すことを忘れずにもう少しだけ此処にいよう。

# by templ-sc | 2009-06-02 22:13 | 嘆きの壁
2008年 11月 02日
生命
生命の誕生と同じく生まれた思想的入り口。

目の前に広がる時間の列挙にとまどい、さまよい、うなだれ、日々を過ごす私たち。

そこにあるのは光か?闇か?

時間っていう制約のなかでどう進むか・・・


宇宙が生まれてその瞬間から時間ってものが成立したなら今生きていることは前世、来世さえも凌駕している。


この瞬間を生きることこそ自分であると思う一方、不可逆的不全の理の存在に背を向けられない。そんな毎日と日々戦っているみなさん・・・


これからどう生きますか?




夜だけが僕を照らしてくれた日々は終焉を向かえ始めているのかもしれない。




そうならないための一手をうち続けていこう。



煙突から出る火は見るものを奮い立たせ固持させるために再確認のツールであると思う。


火は光だ・・・

# by templ-sc | 2008-11-02 21:51 | 嘆きの壁
2008年 04月 17日
人はみな何かを思って生きている。
人はみな違いを持っている。

独自性。

自己の確立後それぞれの時間の経過とともにそれぞれのバックグラウンドのもと生きている。

万物は意味を持ち環境に生かされてる。もし、世界中で自分一人なら生きてはいけない。
なぜなら持ちつ持たれつだから。


より多きを得た物はなぜか自分の中でしかモノ観れない。安定という悪魔に身を寄せ違いや個性を嫌う。

なぜなんだ?


生きてる以上違う点は日常茶飯事。
見方は何万通りあり、見解もそれと同じだけある。
事実、人によって物事の解釈は違うし、やり方、生き方も違う。
その中でも共通意識を持つとするなら現実に形ある容姿を持ちえるべきであろう。
人間の数だけ表現方法ら、捉え方がある。



明日は明るいか?


目に見える路線をなぞるのは容易だ。なぜるからそれ以上にはならない。雲より上を見るため努力は惜しまない。


無口な花は咲き形で表現する。
人間はどうしても個を消したがる。意識ある器はモノを感じさせる。

一体なんのため?

自分が自分であるために…

# by templ-sc | 2008-04-17 23:58 | 嘆きの壁


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